映画『ショート・ターム』内容は重めだけど見易かった

ちょい問題のあるティーンエイジャーたちが暮らす施設の話。

精神に問題を抱えていたり、虐待の話、自傷行為が描かれたり、内容的には重め。でも、観ていてぐったりやり切れなくなる感じでもなく、内容の濃さはちゃんとありつつ、良い意味で適度に収まっている映画だと思った。

なかなか評価の高い映画のようで、ウィキペディアにいろいろなところの批評が抜粋で紹介されているのだが、

 

一方『ガーディアン』のピーター・ブラッドショーは「本当にしてはキュートすぎるエンディング」を伴った「よく意図されているが、どこか非現実的な」映画だとして、その信憑性に疑義を向けた

 

という評があって、僕もこれに同意する。

もちろん、この映画は実話をベースにしていると謳っている映画ではないから、ここでいう「本当」とはフィクションとして現実に即しているかないか、というような意味だと思われる。

僕もこの映画を観ていて、物凄く現実を突きつけられているなぁ、という感じはしなくて、現実的な要素を扱った上手いドラマになっているなぁ、という印象だった。

葛藤の乗り越え方とかキャラクターたちの救われ方に、心地良い劇っぽさがあって、「キュートすぎる」という表現はまさに言い得て妙だなと思った。

 

その上で、ではこの映画はヌルくてダメな映画かと言うと、全然そんなことはなく、起きている事自体は過酷だし、キャラクターたちそれぞれの葛藤の深さも伝わってくるし、特に主人公のグレイスの内面の描き方なんかリアルでとても良かった。

だから、要素にはリアリティがあると思った。「キュートすぎる」のはストーリーで、「現実はこんな上手い調子ではいかないだろう」という疑義があるということ。

そして、それは別に悪いことではなくて、映画なんだから、上手いストーリーでグイグイ引き込まれて、観終わって普通に感動できるなら、それは十分良い。

重い内容を描きつつ、ちゃんとエンターテインメントにしてあるというか、重い内容で重い感情を抱かせる映画ではなくて、重い内容を描きつつもわりと爽やかに観終われる映画だった。

だからむしろ、そういうシリアスな映画も観たいけど、あんまりぐったりするのは嫌だからついつい避けてしまう、という人にとっては凄くいい映画だと思う。深刻な問題をちゃんと描きつつ、偽善っぽくないバランスで適度に軽くしているのが凄いと思う。

 

 

各キャラクターたちのエピソードが寄り集まって、それがストーリーになっていくような、まさに「ヒューマンドラマ」っていう感じだった。

主人公のグレイスは、今まで誰にも語れなかった過去を初めて語る勇気を得るから、ちゃんと成長しているし変化している、そういう意味ではストーリーはある。

でも、グレイスに焦点が当たって、そこを軸としてストーリーが進んでいるというより、ジェイデンやマーカスの問題も描きつつ、それと関連してグレイスの心境の変化を描いているから、なんとなく、それぞれの話がそれぞれで起こっていて、それぞれの話に関わっているグレイスも変化していく、というような形になっている。

基本的には問題の多い日常がバラバラに描かれているように見えるわけだけど、でもリアルというより物語的にちゃんと設計されていて、ちゃんと物語的展開になっていっている。

 

グレイスは子どもたちに、問題に向き合う方法を語って聞かせたりしているにも関わらず、自分は自分の問題に対して同じことができない。

これって凄くリアルだなぁ、と思った。

つまり、こう論理的に頭で分かっていても、どうしてもそうできないっていうのが精神的な問題であるんだと思う。だから辛いし、それが人間だよなぁっていう。

よく大人が、自殺したい少年少女に「大人になってみれば〜」とか「今は辛いけど〜」的な慰めをしていたりする。これ自体別に否定すべきことではないと思うんだけど、でも同時に、本当に苦しんでいる人の苦しみは、もうそんな論理的な、損得勘定的な説明でどうにかなる状況じゃないだろって思う。

自殺するくらいなら学校やめればいいじゃんとか、仕事やめればいいじゃんとか、逃げればいいじゃんとか、多くの人が言う。でも、もうそんな論理的な状況説明がどうこうっていう状況じゃないんだろう。

むしろ、どこに行っても、何をしていても辛いし、辛さを感じている事自体に何の意味も理由もないと分かっているにも関わらず、それでもこの辛さを手放すことができない、この事自体が、人を死にたくさせているんだ、という感じが僕はする。

自分こそが苦しみの元凶であって、そして自分からはどうしても逃げられないっていう。

メイソンがグレイスに「苦しみを話してよ。君も子どもたちにそう言ってるじゃないか」と言われて、でもどうしても言えないのが、まさにそういう感覚だったように僕には思えた。

彼に話すのが、自分の苦しみに対処する正しい方法だということは分かっている。ここで話すことを拒むことに理由がないと分かっている。にも関わらず、どうしても話せない。話す気になれない。話す勇気が持てない。勇気なんて必要ないって分かっていても、でもどうしても言えない。

この感情を、あのシーンから凄くリアルに感じ取ることができた。

子どもたちの苦しみには上手く付き合っているグレイスだからこそ、「頭では分かっている」という事も際立っているし、そんな彼女ですら適切に対処できないという描写が、こういう苦しみがいかに厄介かっていう深刻さを観客に伝えているんじゃないかと思う。

そして、この苦しみが故に「自分は子どもなんか産めない」とネガティブに言っていた彼女が、後日エコーで赤ちゃんを見て喜んでいる姿に、物凄い感動があった。

 

ジェイデンが途中でキレるシーンもそうだけど、もうこれは、本当に嵐みたいなものだなぁ、っていう感じがした。ヒューマンネイチャーっていうか。とりあえず、まず落ち着くまでは待つしかないな、っていう。

だから、まずそういう状況の人は冷静じゃないっていうこと。その瞬間は言葉とか通じないんだっていうことだと思った。だから当然論理なんてものはその時には全く無意味。

その嵐の時に必要なのは時間でしか無いような気もした。だから、自分を傷つけないように抑えつけて、ただ待つという事しか周りにはできないんだっていう、そういう感じがしたし、そういう時間をちゃんと感じられた。

 

 

 

関連作品

 

精神的にゴチャゴチャしている思春期が出てくる。

 

精神的にゴチャゴチャしているいい歳の女性が出てくる。