映画『奇人たちの晩餐会 USA』笑うことの暴力と愛

おもしろーーーーーーーい!

ストーリーよし、キャラクターよし、ドラマよしで素晴らしいです。軽いドタバタ系コメディと思って見始めると、凄い良くできててびっくりする。お目当てのスティーブ・カレルがキャラクターにドハマリしてるし、その他のキャラクターもめっちゃ魅力的。

いやー、良い! ほんといい。年1で見返す価値あり。

 

 まず実際、軽めのコメディであるのでサクッとした気持ちで観られる。

その上で、主人公ティムに感情移入させる脚本的な上手さ、そして「変人をバカにする」という微妙なラインのモチーフを笑わせつつ本当に上手く、何より優しく使っているし、その設定によって登場するキャラクターたちによる細かいボケの応酬、どのキャラも立ってるのに、その関係性が凄く心地良い。そしてティムの彼女のジュリーがカワイイ。まじで。

 

ティムの葛藤は、出世する為に不道徳なことをしなければいけないというもの。

かつメタ的に見ると、ティムがこの不道徳な事を行わないと、このコメディ映画が始動しないということもある。

ティムは主人公であるし、これから先、観客がどっぷり感情移入していく人物なわけで、これは脚本的に結構微妙な話だと想像する。というのも、ティムが不道徳なことをしてしまえば、観客はティムのことを嫌悪するだろうし、かといって不道徳を断ればコメディ映画にならないじゃないか。

 

そこで序盤、ティムが揺れ動く様子を描きつつ、最終的にティムは当事者でありながら「巻き込まれていく」という展開になっている。

ティムはジュリー(カワイイ)に怒られ晩餐会を仮病でキャンセルしようとアシスタントに電話を掛けている。これでティムは「断ろうとした」という免罪符を得る。

その時、その電話のせいで脇見をしたことによってバリーをひいてしまい、これが2人の出会いになる。

(この映画、こういう風に、ある何かの為の行動が次の展開のきっかけになっている、という上手いドミノ倒しが続いていくので、見ていると本当に無駄がなくて[無駄の有無で良い悪いを判断するわけじゃないけど]、すごく締まった綺麗なストーリーになっていると思う。逆に人工的で出来レース的に見えるっちゃ見える。でも、これはご都合主義とは全く違い整合性は取れていて、映画的なストーリーテリングとして個人的に僕は好き。)

ここでバリーに偶然出会ったことで、ティムは結局、バリーを晩餐会に招待することに決める。

この奇跡的な出会いのお陰で、ティムの「悪行」は印象が薄くなっている。ここで観客の僕は、ティムの悪行に注目するよりはむしろ「ちょうどいいヤツいたじゃん!」という気持ちになっていて、完全にティムに同調していたので、ティムに嫌悪感を抱く事なくストーリーに入っていけた。

 

しかし、これだけだと納得しない観客もいるだろう。でも大丈夫。なぜなら、この後、ティムはまたジュリー(カワイイ)に怒られてしまうからである。

しかもジュリー(カワイイ)は出ていってしまい、これがティムにとって最大の不幸(彼女にフラれる)に繋がっていくので、罪に対しての罰がティムには与えられる。

その上、バリーがティムのストーカーに住所をバラしたり、ぎっくり腰になったり、夜眠れなかったり、商談も上手くいかなかったり、車もボコボコにされたり、とにかく、バリーと関係を持ったことでティムには災難が降りかかり続けるので、なんとなく、彼の悪行は観客の中では許されていくようにできている。

勘違いしてほしくないのは、この映画は、「奇人たち」をバカにして笑うことを肯定した映画ではないし、ティムも最終的にはバリーと友人になる。だから、凄く気持ちいいクライマックスになっていく。

でもそれは結構終盤の話。ティムが心を入れ替えるまでの間も、ちゃんとティムに好感を抱かせ、感情移入させるようなストーリーにちゃんとなっている。

そしてかつ、最終的な晩餐会の参加でさえ、ティムがバリーを連れて行くのではなく、バリーが勝手に参加してしまうという形で、ティムが「巻き込まれる」展開になっている。

バリーのトリッキーな行動を最大限活かして、ティムの罪を最小限にしつつ、非日常的で不道徳なおかしなシーンにちゃんと突入していく。バリーはトリッキーな行動をするからこそ「奇人」なわけだし、それがただキャラクターとしての面白さだけではなく、ストーリーにとっても有効に働いている。

 

 晩餐会には奇人たちが集まってくるのだが、その前に、ストーカーのダーラと、アーティストのキーランという奇人が登場する。

そして、この2人が本当に魅力的で、かつ笑わせるし、ダーラに関しては暴力的なストーカーにも関わらず、バリーと絡ませる(文字通り)ことでなんか憎めないバランスになっている。

実際ダーラ役のルーシー・パンチがこれまたドハマリしてて、狂気的なヤバイ女役なんだけど、見た目はセクシーだし、チャーミングな顔をしているので、なんかちょっと良いんですよ。でも表情がヤバくて、でもなんか良いなぁみたいな。

いや、これは僕が男だからかもしれない・・・。

でも、凄く体が大きい。身長も高そうだし、筋肉もあるんじゃないか。通せんぼで両手を広げた場面なんかを見ていても迫力がある。

この恐怖と笑いとセクシーのバランスが絶妙な配役だった。

 

そしてストーリー上で、このストーカー・ダーラとティムは縁切りに成功するんだけど、ここもまた上手くて。

バリーというトリックスターを使って、ティムがダーラにプロポーズしなければいけないというシチュエーションを作って笑わせ、これで指輪も奪われ、商談もむちゃくちゃになるというコントをやりつつ、そこにジュリー(カワイイ)が登場することでまた誤解が深まり、ジュリーを追いかけたティムはダーラを怒らせ、車をボコボコにされ、多くの代償を払った結果として、ティムはダーラと縁切りできる。

ここのシーン本当に面白くて、「なんでこんなことに!」と思いながら笑いが止まらない。

その上で、ティムに都合よくダーラを退場させるのではなくて、まあプロポーズされたそばから公衆の面前で置き去りにされたら、ヤバイ女だとしてもそりゃ傷付くか、という納得できる展開をちゃんと踏んでいる。

こうちゃんと笑わせつつ、主人公の葛藤や苦悩を深めつつ、キャラクターの見せ場を作りつつ、ストーリーも進めつつ、納得できる形でキャラクター同士の関係も進展させていく。

 

キーランに関して僕が特に好きなのは、バリーと仲良くなっていくという展開。

この2人、画面の中で大した時間一緒にいるわけじゃないのにバディ感を醸し出している。

これもバリーがティムの部屋でキーランの作品集を見つけて、キーランの魅力を理解するところからちゃんとリードを作っている(かつ、この作品集がきっかけでキーランに電話をかけ、彼のアトリエに行くという展開につなげている)。

ベンチで話すシーンにしても、最後、キーランにジュリー(カワイイ)を諦めるように話すところも、分かり合ってるような、全然お互い理解してないだろ、みたいな、言語や論理を超えたところで信頼感が醸成されている感じが見てて心地いい。

 

どのキャラクターも本当に魅力的だし、その関係性も抜群に良い。その上で、この「奇人たちをバカにする」というモチーフをどう描いていくか。

まず、これどう考えても不道徳だろっていうのは誰でも感じると思うんだけど、でも実際、誰かが誰かを笑わせるって、ほぼ常にこういう不道徳な側面を含んでいるよなっていうのも同時に思う。

実際、バリーやその他「奇人たち」の振る舞いを見て僕は大笑いしているわけだけど、これと晩餐会で笑っている金持ちたちの笑いは質的にそんなに違うんだろうか。

というか、実際、観客が笑うことと、画面内の金持ちたちが笑うことがオーバーラップするようなシーンもあって、なんとなく居心地の悪いような、でも素直に可笑しさに笑いたいような、そういう微妙な感情になる瞬間があった。

凄く単純化してしまうと、笑うっていうことは親近感とか愛も表すし同時に暴力的でもあり得るっていう、まあ、これは良く言われることだと思うんだけど、その微妙さを映画的に表現するとこうなるっていうことだと思う。

いや、口では簡単に言うけど、実感するって難しい。この難しいことをこの映画はやってのけているのではなかと思う。

観客に、バリーを好きにさせつつ、そのバリーで笑わせる。というか笑わせてくれるバリーが好きなんだ。同時に同じバリーに対して暴力的な笑いをしている人たちを画面に写す。同じふるまいに対して二方向からの笑いを同時に発生させることによって、誰かを笑う、誰かに笑わせられる、ということの不思議さや不可解さを観客にちゃんと感じさせているんじゃないかと思う。

 

日常的な思考でいくと、「で、良いの?悪いの?」とつい決めたくなるが、これは白黒付けられない微妙な話なんだという、いつものオチになると思う。

笑いは暴力的になり得る。だからといって笑いのない社会、可笑しいと感じたことを素直に笑えない社会は絶対に息苦しい。とはいえ、もしそれで傷付く人がいるとするなら、その人をナイーブだと軽んじて良いわけじゃない。

例えば、教育もある種の暴力だといわれる。しかし、教育が全く無い方が全ての人が幸福になれるとは言い切れないし、恐らくより不幸になるのではないかと直感的には思える。だから正しくない部分があるからといって全面的に悪いというわけではない。

人が人と関わるということは、固定的なものではないし、その際の価値判断もまた固定的なものではありえない。常に求められる事は変わっていて、「正しさ」は天上にあるのではなくて、お互いの間で決まっていくんだと思う。

だからこそ尊敬や愛が大事なんでしょっていう事なのではないかと思う。法律で全部決められるならそんな抽象的なもの必要ない。ルールにそって生きてれば上手くいく。でも実際そうじゃない。だから普遍のルールじゃなくて現実の行為として、いつも相手を尊重し、それに応じて柔軟に行動する。それが唯一僕たちにできることなのではないかと思う。

 

それでストーリーに戻ると、

最後は、自分がバカにされていると分かった上で、それでもトロフィーが欲しいとバリーが言い出し、そのことによってバリーの振る舞いをポジティブに笑える展開にしていく。

そして、さらにその上で、ティムは心を決め、仕事よりバリーを取ることで成長し、この金持ちたちへの復讐も同時に果たしていく。ここも仕事が絶頂でうまくいって信頼も勝ち取ったタイミングで仕事を切り離すからこそ感動的。

家に帰り、ティムはバリーに胸中を話す。なぜ不道徳なことをしてまで仕事にこだわっていたのか、ということを反省しつつ、この反省がそのままジュリー(カワイイ)との関係回復のきっかけになる。

最後さすがに出来過ぎだと思ったけど、いやでもよく出来てる。ジュリーもかわいいし。

 

 

 

バリーが傷ついて池の中に入るシーンがあるけど、あれは感情表現としてとてもいいと思った。靴に水が入ると凄く気持ち悪いって誰でも経験的に知ってる。だから、そういう気持ちだっていうことだろう。

また、バリーのアトリエにティムと一緒に撮った写真のプリントが置いてある。ティムと出会ったのって、まだ当日か次の日とかそんなものだから、晩餐会に誘われて、バリーは本当に素直に嬉しかったんだろうなぁ、というのがそこで感じられて、だからこそティムの裏切りを重く受け止めているバリーに共感できる。

バリーもただ「変な人」というコメディ・リリーフかと思いきや、実は裏切られた過去があって、受け入れられないこともあって、凄く人間的に描かれている。だからあの写真にもグッとくるし、傷ついている彼に共感できる。ただただ可笑しいからという以上に魅力的なキャラクターになっている。

そして前歯が出ている。

あれ、入れ歯を入れているのか、スティーブ・カレルがそういう顔を作っているのか分からないけど、ああいうキャラクター造形のセンスって凄いなって思う。ネズミに寄せたっていうことなんだろうか。細かいけど、あの前歯は微妙な表情の時にいろいろ効いてる。

 

ちょっと書きすぎている気がする。

面白かった。ストーリーもいい、キャラクターもいい、見易い軽さもいいし、しかし含まれているモチーフはいろいろ考えようがある。『オクジャ』の感想でも書いたけど、こういう、ベースは楽しくエンターテインメントとしてハイクオリティに作っておいて、その上で問題提起をするような映画って、本当にいい映画だなって思う。

押し付けがましくなく、難解でなく、それでいて見終わった後に何かを残す映画。

すごい!