映画『プロミスト・ランド』フェアネスの重要性

アメリカのシェールガスだから最近の話だな、と思ったら、2012年の映画だった。

採掘による環境破壊が話題になったのってそんなに前だったか。確か、蛇口から汚い水が出てきたとか、地震が増えてるとか話題になってた。

最近はあまりネガティブなニュースは聞かなくて、ただ「アメリカが産油国になる」という話をよく聞くので、どうなんだろうとちょっとニュースを調べたら、実際、油田開発は進んでいるみたい。

問題は解決されたんだろうか。

 

www3.nhk.or.jp

 

こういうニュースもあるけど、そもそも失業問題には触れても環境問題には基本触れていない。むしろ環境規制緩和でブームになっていますよ、という話しかなくて、その規制緩和の是非についてはあまり話題になっていないみたい。

他にも検索上位に出てくるのはどちらかといえば経済的な話が主で環境の話は出てこない。

これは、問題が棚上げにされているのか、そこまで環境に問題のない場所を選んだり、採掘方法を行っているのだろうか。

 

トランプ大統領、前政権の環境規制を大幅に見直し-エネルギー自立と経済成長に関する大統領令に署名- | 世界のビジネスニュース(通商弘報) - ジェトロ


この辺を読んでも、その評価はよく分からない。とにかく、アメリカが環境問題対策からは全力後退しているようには見えるけど。

僕もこういった話を普段から追いかけているわけでもないし、ちょこっとニュースを読んだところで何が真実なのか見極められないけど、問題意識が下がってきているのは、そうなのかもしれないなぁ、と検索結果を見て思った。

 

 

この映画の中ではシェールガス開発は悪者にされているだろうか。僕は、そこはグレーなままにしてあると思ったし、それで良いと思った。

まだ良く分からないというのが現状なのかもしれないし、実際最後にスティーブも「自分は大丈夫だと思うけど、保障はできない」と微妙な事を言っている。

なので、シェールガスについて詳しい人は、「こんな映画インチキなプロパガンダ映画だ」と思うかもしれないし(どちらの立場だったとしても)、時が経てば、この映画を客観的かつ一般的に評価できるのかもしれないが、とにかく今の僕にはそこは何とも言えない。

僕はシェールガスについてほぼ何も知らないので、「シェールガス」という特定のモチーフにこだわるのではなくて、「まだ良いか悪いか確定していない新しい何か」に対して社会がどう向き合うべきなのか、という視点でこの映画を観た。

その上で、最後の幕の引き方は納得の行くものだった。

 

この映画で描かれていたことを要約するなら、大企業は狡猾であるということ、そんな大企業の従業員であったとしてもひとりの人間であるということ、そして何はともあれフェアネスは正しいということ。

 

この映画は白黒付かない微妙な問題を描きつつ、それでもとてもエキサイティングで退屈しないストーリーになっている。それはバトル要素があるからで、開発を売り込みたい主人公たちと、それを阻止したい環境団体の戦いになっている。これが山あり谷ありでドラマチック。

しかも、スポーツやケンカではなく人気取り合戦なので、ルールや論理ではなく、いかに人と仲良くなっていくかであるし、結局、最後の最後まで数字が出てくるわけでもないから、勝っているような負けているような。この男たちは協力的になってくれたけど、カフェの店員さんは冷たくなったし、しかも、住人の中に良い感じの女性も見つけてしまったりして、その人に対する個人的な気持ちとこの戦いが絡んできたり。

この展開がまあ分かりやすいと言えば分かりやすいんだけど、ちょっと先手を取られて、上手いことやり返した、と思ったら不運にも作戦が失敗して、もうダメかと思ったら起死回生の一発を返して、という風に、まずストーリーの起伏がしっかり楽しく作ってある。

 

その上で、主人公や周りの人たちの感情の機微をちゃんと描いているから、ドラマとしてもしっかりしている。

特に、お互い主張は相容れなくても、家に招いたり、ケンカしたり、ちゃんと話しているという関係性が凄くいいなぁ、と思った。

そして、反対派ボスの先生も、「自分は老いて死ねるから、こういう決断ができるんだよ」と、自分のやっていることが絶対正義ではないことを自覚しているのも良かった。また主人公の方も、自分がしていることは正しいのかどうか、「会社が言ってこないから大丈夫なんだろ」と自分に言い聞かせつつも、確信はない感じで、どちらにしても、自分の主張をしつつ、でもそれを俯瞰するような迷いはあって、そこが現実的だった。

実際スティーブはスティーブで、新しい事業開拓がなかった事によって、簡単に自分の町が失われてしまったという経験があって、だから、このままジリ貧になってしまったら元も子もないだろう、という彼の主張は、企業利益だけを考えた主張のようにも思えない。

しかし、その上で後世のことまで考えたらどうなのか、というのはかなり微妙な話で、ジリ貧が続けばそもそも後世になる前に滅ぶ可能性もある。しかし、目の前の果実を手にした結果近い将来、土地を二束三文で手放すことになったら、それもそれで祖先も含めた家族に対して顔向けできない(土地を売れなかったアリスのように)。

この微妙な住人たちの気持ち、いろいろな考え、いろいろな葛藤を抱えている多くの人を、ちゃんと描いていた。

一方で、あぶく銭を手にして即浪費しているバカな男も描いていたし、それを見てまた迷いを膨らませるスティーブも同時に描いている。

またスティーブより企業寄りの同僚スーを描いているが、このスーも家庭的で、息子を大事に思っている普通の母親であることも同時に描いている。

 

そういう紆余曲折があった上で、最後は大企業を黒幕として悪者にしつつ、スティーブにある決断を迫る、というクライマックスになっている。

スティーブは最後まで迷っていたように僕には見えたが、「看板に25セントって書いてあるんだから25セントだよ」というレモネード売りの女の子の、この当たり前過ぎる善意によって、心を決めたんだと思う。

この善意は、交渉の際、実際の埋蔵量の価格を誤魔化していたスティーブに対する批判であるし、利益の為に巧妙に人々の盲点をついてくる大企業に対する批判である。

 

そして最後スティーブは、ただただ素直に分からないことは分からないと言い、でも、開発が悪いことだとも言わず、「それを話し合うためにこの機会がある」と語る。

これは凄く良い締め方だと僕は思う。

とにかく、ベネフィットもリスクも分かっている限り全てオープンにして、フェアに話し合いをすることだけは、絶対に正しいだろ、と。

その結果決断したことが間違っていることもあるかもしれないけど、この過程を経ずに決めたことは上手くいったとしても、やっぱり生き方として間違ってるよねっていうメッセージだと受け取った。

 

皆、あるポジションを死守したり、失敗したことを馬鹿にしたり非難したりするけど、社会の本質はそんなところにはない。ポジションではなく事実に基づいて話す。成功や失敗という結果だけで、正しい、悪いを判断しない。

本質はレモネード売りの少女が言うようにシンプルなんじゃないか。これは問題が単純だと言っているのではなくて、複雑な問題であっても、本質的に意味のある問題への向き合い方は、まずそのシンプルさ、人として当たり前の気持ちが元になっていなくてはいけないのではないか、という意味。

まず皆がそういう姿勢を持って、他人を責めたりするんじゃなくて、事実でもってフェアに話そうよ。

そういうことを言っている映画だったと思う。