映画『ラバー』ごっつノー・リーズンな感じ

むかーし観たんだけど、久々に観てみた。

難解な映画では恐らくないので、普通に面白がれるところはいろいろあると思う。作り手が象徴的に意味を込めたりしているかもしれないんだけど、まあ、それは分からないし、「意味がないことに対するオマージュ」と言われた時点で、そういう事を考えてもしょうがないかな、と個人的には思う。

 

その上で、その「意味がない〜」は言い訳で、その後むちゃくちゃに意味なく作ってある映画かと言えばそんなこともなく、たしかにトリッキーな構成になっているが、一個一個の感情やキャラクターたちの立場は理解可能だし、ギャグとして笑えるところもあるし、演出や音楽もいいと思うし、全然投げやりじゃない。

僕の素直な感覚としては『ダウンタウンのごっつええ感じ』とか『ヴィジュアルバム』っぽいな、という感じ。

フィクションの枠自体を客観視してネタ化していくところとか、設定を脱臼させて生じた気まずさの可笑しさとか、開き直ったボケに対して周りが悪ノリしてくるところとか、激しさと無関心との温度差で間抜けな空気感を描いて見せるところとか。

だからまあ、象徴を読み込もうとかストーリーに整合性をつけようとするよりも、とにかくこのズレた状況によって起こっている可笑しさで笑えればそれで十分なんじゃないかと僕は思うし、そういう意味で、良いコメディ映画なんじゃないかってな感じである。

 

といっても、これ撮影技術というか、演出技術なのかは凄い上手いんだと思う。

まず絵が綺麗。荒涼とした荒野、ど田舎のモーテル、『バグダッド・カフェ』みたいな場所なんだけど、良い感じの空気感に見える。被写界深度の浅い絵も多くて、全体的にオシャレだった。最初の椅子が並んでいるシーンからして、絵作りのセンスが凄いなぁ、と思わされた。

そして、「タイヤ」という思いっきり工業製品で、色も黒一色で、形も幾何学的なものに、ちゃんと感情があるように見せてるって実は凄いことなのではないかという気もする。

しかも、ただ生きてるって感じじゃなくて、ちゃんと感情を描いている。声もない、顔すらないのに、音響と、微妙な動きや震え、あとは間だけだと思うんだけど、それで描けている。

起き上がって、フラフラと転がる練習をして、破壊の心地よさに目覚め、怒り、歓喜し、女に憧れ、絶望し、自分の姿に驚き、なにやらちゃんと思想を持ってそうなところまで描いていく。つまり、ちゃんと成長を感じる。

生まれてハイハイしているところから、子ども特有の残酷さ、それが矯正されないまま大人になってしまった殺人鬼っていう流れを感じる。この殺人鬼誕生の流れ自体が、よく聞くベタな物だからこそ、そう感じることができると思うんだけど、そういうベタをちゃんとタイヤに投影させている演出力は凄いと思う。

シュールだなんだという前に、まずその事自体に僕は映像表現の不思議さや演出のパワーを感じる。

 

それで、この妙にリアルな生きたタイヤの描写があるからこそ、その反転としてただ物としてのタイヤっぽいシーンが笑える。

例えば、パタンと倒れて眠るシーン、シャワーを浴びているところから外に投げ捨てられるシーン。プールに入っている女をジッと見ているシーン、プールにドボンって沈んでいくシーン。いや、ただタイヤが置いてあったり転がってるだけじゃん。この当たり前さが逆に可笑しい。

「いや、ただタイヤが置いてあるのが可笑しいってどういう状況なんだよ」と我ながら思うんだけど、でも可笑しい。モーテルの部屋から投げ捨てられるシーンなんてとても不憫に見えるし、最初荒野で眠るとこなんて、ただタイヤが倒れただけだから。でも「あ、眠った」って見える事自体が可笑しい。「いや倒れただけだから」っていう。(その上でタイヤが寝息を立てている凝りよう)

しかし、例えば映画において人が死ぬ場面なんて、本当は役者が「ただ倒れただけ」なんだっていうのは暗黙的に分かってるわけで、ある種、その状況に乗って見るからこそ感情的に見えてくる。同じことをタイヤでやっても、ちゃんと行為や意味に見えるっていう事自体に、メタフィクション的な視点が含まれていると思う。

その上で、「タイヤ」という即物的過ぎるものだから、やはり乗っかりきれない冷静なところも残るわけで、上記のような、演出的に「ただ物としてしか見えない」場面で観客の僕は、半分はストーリーの流れ上「タイヤという生き物」を感じつつ、同時に冷静に「ただの物であるタイヤ」にも感じるというズレが認識の上で生まれる面白さがある。

作り手は絶対この演出の使い分けとか意識的にやっているわけで、だから、これ全然テキトーな映画ではなくて、最初の言い訳がましいスピーチのわりに、コメディをちゃんとやっていると僕は思っている。

 

こういうメタフィクション的なことを言うために、試みは分かるけど単純に退屈だな、と思う映画もある中、この映画はそうではなかった。

殺人鬼とそれを追う警察、というストーリー自体はまず分かりやすいものだ。

そこに映画の中に観客が登場していて、その観客もまたストーリーに飲み込まれたり、ストーリー内にいるはずだった警官がストーリーの外側に出ようとしたり、そういう世界構造の入れ子が捻れている構成ではあるけど、とはいえ、せいぜいその3つ(タイヤのストーリー、それを双眼鏡で観ている観客、この映画を観ている僕)なんだから、無茶苦茶にはなっていなくて、普通に頭で追える範囲なので、意味はちゃんと分かる。

というか、枠がどうズレているのかが分かるからこそ、上で書いたような、「枠自体をネタ化していく」っていうボケも成立して笑えるわけで、難解な映画ではないと最初に書いたのはそういう意味。部分的には謎な要素が出てきたとしても、全体として分からない映画ではない。

 

僕が一番笑ったのは、警官がタイヤを外して「犯人はこれに似てるから」というシーン。この発言に対して部下が悪ノリしていったり、この警官自身も「もう終われると思ったのにめんどくせーな」というダルい空気を出していて、すごいコメディ空間になっている。

あとタイヤがレース番組を観てたり。「やっぱタイヤだから、そういうのが好きなのかなぁ」と勝手に納得している自分が馬鹿らしい。でも、意外とこの展開があるから、最後カリスマになっていくところに妙な説得力があるのかもしれない。

何にしても、とんでもない設定や事物に、妙に説得力のあるディテールを描いていくことで可笑しみを増していくのも、ごっつ的に感じる。ごっつのコントでも、謎の生物とか、謎のレジャー・スポーツとかが登場して、インストラクターの松ちゃんがそれっぽく説明するというギャグがあるけど、それに似たものを感じる。

 

なので、いわゆるコメディ映画ではないけど、でもやっぱり面白いコメディ映画だと思った。