映画『ファミリー・ツリー』弱さと苛立ちと優しさ

この映画、面白いです。

でも、どう面白いのか、まとまった感じの感想は書けないと思う。

 

コメディとして笑える。家族ゲンカってこんなに面白いのか。ドタバタじゃなくて、静かな攻防が笑える。汚い言葉が結構出てくるが、父のマットは呆れつつ、途中から諦めてる。妻の不倫相手の家に入る時に、娘のアレクサンドラがマットに向かって「Don't be a pussy」と言ったり、マットが妹のスコッティに友達を「twat」と呼ばせたり、アレクサンドラの口の汚さがいい味出してる。

そして、不倫相手を探してソワソワしているマットが滑稽。コテージの生け垣からちょこんと頭を出して浮気相手を見ている姿の哀愁。いや、別にマット隠れなきゃいけないことしてないから。客観的に見るとなんでコソコソしてるのっていう可笑しさがある。

それから、家族の物語に他者として居座り続けるシドのトリックスター的面白さ。でも、このシドが良い奴で、「カフェテリア行こう」は、マットのお別れの言葉と同じくらいエモーショナルに響いた。というか、個人的に結婚とか全く想像ができないので、むしろマットのお別れにはいまいちピンと来れなかった。

そういうわけで、僕はこの「夫婦の話」にはそこまでグッと感情移入できたわけでもない。親しい人の「裏切り」という一般的な感情で見ていたので、多分、この夫婦特有の何か、そこが分かる人ほどにはこの映画を感じられてはいない。

しかし、それでも全然面白い。各キャラクターの振る舞い、言う事、明らかになる事実に動揺するマット。大きな歴史の中のマットと、今まさに娘達の唯一の親になったマットの立ち位置。長い時間と壮大な景色と、弱い個人と目の前の家族。

 

と、こう映画の部分を取り上げていろいろ言うことはできるのかもしれない。

発覚した妻の不倫。不倫相手も家族がいて、で、しかもどっちかというと妻の方が遊ばれていて、みたいな展開の仕方とか、それがもうひとつの懸念事項であった土地売却の話と繋がってしまってストレスが倍増したりとか、そういうストーリー的な面白さもある。

でも、この映画の面白さはそういうことじゃない気がする。

キャラクターたちの関係性から滲み出てくる空気というか、弱さと苛立ちと優しさを感じられる時間自体がこの映画のメインの魅力であって、ストーリーがどうとか言ってもしかたない気がする。

繰り返すけど、もちろんストーリーは面白い。でも、そこを語っても、絵の話をする時に額縁の話をしているような歯がゆさがある。

 

なんというか、どのキャラクターも(スコッティは違うか)感情がねじれてる。怒りと愛が交錯していたり、苛立ちと許しが同居していたり、恐れながら攻撃したり。

それでも映画全体からは暖かいものを感じる。という凄い抽象的な言い回しになってしまう。

これはやっぱり、どのシーンがどうっていうことでもなくて、微妙な気遣いの積み重ねとか、何気ない会話とか、同じものを一緒に見たりとか、同じ境遇に一緒に対峙している連帯感(家族の再生)とか、そういうストーリー全体、関係性全体から生じてくるもののように思える。だから要素に分解しても、そのひとつひとつは大して説得力のある説明にならない気がするし、ただただ野暮なんじゃないかと思う。

僕はわりと分解して考えたい方なんだけど、でもこの映画に関しては吸い込むように観る方がいいんじゃないかっていう気がする。

 

そして、これは僕が「家族」というものにあまり思い入れがないからかもしれないが、この映画全体を通して強いメッセージとかは特に感じなかった。前述した通り夫婦の物語としても見られなかった。ただ、誰かと一緒にいる、誰かが誰かを想っている、という描写の演出の力加減も絶妙で、家族の暖かさは最後の最後までしっかり感じた、という感想。

そして、それだけで十分面白い。むしろ、「それだけ」を面白く描けること自体が凄いなって思った。