映画『デスノート(NETFLIX版)』頭悪いアダムとイブとエル

僕は原作も読んでないし、邦画版の方もちゃんと観ておらず、何となくあらすじや設定は知ってる、という程度の観客なので、あくまでこの映画単体としての感想になる。

で、悪い意味でコミック調の軽い映画だった。

序盤の感じから、何となくリューク=サタンっぽい展開になるのではないかと期待していたし、実際そんな感じになったけど、全体的に説得力がないのでオチまで観てもどうでもいい感じだった。

 

まず、頭脳戦というほどの頭脳戦はない。

というか、Lにしてもライトにしても、やってることがずさん過ぎて、ノーマルな頭の観客が呆れるレベル。ライトはすぐデスノートのことバラしちゃうわ、Lは自分の名前は用心して隠すくせに大事な側近の名前はご丁寧に名刺で渡しちゃってるし、お前らバカか。(てかフルネームじゃなくてもいいのか!)

確かに、クライマックスのライトの計画は、「なるほどねぇ」ってちょっと感心したけど、よく考えたら魔法の本を持ってるんだから、それ大して頭良くなくてもできそうだよなっていう気がした。Lに銃を突きつけられて、教えなくても良い情報を口走って計画を台無しにしようともしてるし。(伏線の作り方が無理矢理過ぎる)

というか、人を意のままに操れるんだったら、何百人も殺さずに、最小限の処刑で最大限の悪人を裁かせるとかいうことができそうだよね。マフィアのトップが自白した後に死亡とか。なんか、キラの存在を誇示しつつ、もっと殺さずに上手くやる方法はあったはずで、Lの言う通り、ライトは幼稚でバカなガキで間違いない。

じゃあLは賢いか。それもまた微妙。確かに、ライトを特定するところまでは鮮やかに進むけど、結局、ライトを逮捕する決定打を最後まで打ててない。そして、側近をライトに操られてキレて、ライトの行動を阻止するための本気のひらめきでも考えつくのかと思ったら、銃を持って走って追いかけるという、これまた幼稚でバカなズッコケ行動にでる。

 

そして、全体的にストーリーがご都合主義。

ライトら容疑者を尾行中の捜査官たちがデスノートによって殺されるという展開がある。これはストーリーの潮目が変わる展開だし、後に繋がる伏線でもあるわけだけど、この不可解な件に対してのライトの無頓着さは目に余る。「なんかよく分かんないルールがあるんだ多分!」って、それで納得できちゃうのかお前は。

そして、それはそれでいいとしても、尾行されてるからって、そもそも別にデスノートを使えないわけじゃないだろ。トイレの中にまでついて来られてるわけでもないんだし、死まで最大2日間猶予があるんだから(それ最後に使うトリックだし)、尾行程度だったらアリバイを作りつつ処刑し続けることくらいできるだろ。

だから、あそこでライトたちがさも追い込まれたように描かれていること自体が凄くご都合主義で、「いや、ここで2人が軽くパニックにならないとストーリーが進まないんで」という誰かの声が聞こえてくる。

ノートの設定にしても、観客に明かされないルールが大量にあるので、作り手の言ったもん勝ちみたいになってる。ノートによる死を蘇生させるとかアリなのか?とにかく、ルールを複雑で分かりにくくしたことで、ご都合を通りやすくするという悪い政治がここで働いている。

 

そしてファム・ファタールのミア。

いや、まず、キャラクターとしての魅力が全然ないのが残念。このストーリーだったら、彼女は絶対良く描かないとダメだと思う。観客が「あぁでも、この人に言われたらやっちゃうよね」って思うくらいじゃないと、ストーリーに全然乗れない。

ライトがミアを好きなのも、ルックスが好みだったからくらいにしか描かれてないし、そんなほぼ喋ったこともない彼女にデスノートの事を話したせいで、この映画全体のトーンが軽くなってしまっている。せめて普通に親密になる過程を描いていからデスノートの事を打ち明けるという順番にすればよかったんじゃないか。

最後、クライマックスで彼女が狂気に落ちていくところはちょっと良かったけど、そこまでのストーリーで彼女の内面をちゃんと描けてないから、狂気的な魅力じゃなくて、ただのヤバい奴にしか描けてない。

彼女の行動原理は、デスノートが虚無感から救ってくれた的な、自分の役割に対する執着みたいなものなんだけど、だったらやっぱり彼女の心の穴をちゃんと描かないといけないんじゃないか。

観客の僕が知っているミアは、まずチアリーダーで、イジメっ子に立ち向かういい子で、学校の廊下で男に肩を組まれるくらい周りとは上手くやれてる感じの青春女子高生で、別に性格的にも問題なさそう。

もちろん、外面的に普通に見えても実は心に大きな欠落があるっていうキャラクターは当然あり得るが、この映画はミアのそういう側面は描けてない。そういうところをちゃんと描かないと、彼女が何故そこまでデスノート固執していくのかに納得感は生まれない。

 

 

僕が「デスノート」というモチーフ(設定)に期待するのは2つで、頭脳戦か、もしくは裁きとは何か、みたいな倫理観とか社会観みたいな事を掘り下げるかどちらかなんだけど、この映画は、どっちかというと後者で、かつ、女が男を誘惑するというアダムとイブ的な話運びになっている。

でも書いた通り、ライトとミアの恋は取ってつけたようで、ご都合主義な2人によるご都合主義な恋愛だから、そこに「止むに止まれず愛ゆえに間違えていく」みたいな熱いヒューマンドラマはない。

じゃあ、裁きはどうか。

FBIを殺したことは当然まずかった。これは全然微妙な話じゃなくて、完全なる悪だ。裁きのジレンマはそうじゃなくて、例えば誰しもが納得してしまいそうなテロリストを殺す、犯罪者を殺す、という一見正しい行いは本当に正当化されうるのか。また死自体が正当化されたとしても、それをたった1人の人間の判断に委ねる社会は正しいのか、そういう微妙な話で、そこは全然描けてない。

Lや父親によって、「これは良くない」というのはセリフでちょっと触れられるわけだが、でも何故これがいけないのかを観客に投げかけるほどの話はしてない。ただ一般論としてダメでしょっていうくらいの話。

ストーリーとしては、一線を超えてしまった「ミアは悪かった」という筋にはなっているが、ライトの行動自体を反省させるようなクライマックスにはなっていない。彼は結局、裁きの副産物として自分の命を助けているわけだし。中盤でミアに「ダメだ」といった行動を自分で取っている。(ここの作り手の意図はホントに分からない)

一応、最後に「善悪はそんな単純な話じゃなかった」ってライトは父親に話しているわけだけど、うん、だから何をもって彼がそう言っているのかっていう説得力が、ストーリー上にあんまりない。というか、ライトが頭良くないから、「単純じゃない」っていうか、お前が頭悪くて考えられてないだけじゃないの?っていう疑いが拭えない。

だから「まあ、なんか深そうなこと言わせとけ」っていう感じにしか見えない。

 

せっかく面白い題材だし、ネットフリックスけっこう作り手に自由にやらせてるみたいだし、アレくらいエグい描写も可能なんだから、もっと社会派な人に撮らせるべきだったんじゃないか。

ゴア描写は、この映画ではキャッチーなアトラクション程度にしか使われないけど、上手く使えばヴィジランテ映画の『スーパー』みたいに、「悪に対する裁きとは言えども、これはちょっとヒドイな」と観客を冷静にさせて、ライトのやっていることを反省的に見させる要素にできると思うんだけど。

いろいろ考えさせられるような深さもないし、エンターテインメントとしての爽快感もない。キャラクターもペラペラ。マーケティング的につぎはぎで作られたようなストーリーでガッカリ。