映画『パンチドランク・ラブ』どいつもこいつもの中で、彼女と出会った

スーパーウルトラ面白かった。

キャラクター、人間関係、ストーリー、映像、音楽、全部良かった。特に音楽は心情描写としてかなり効いてた。あんまり音楽に注目(注耳?)して映画観ないけど、凄く効果的に使われてると思った。

 

主人公のバリーって、行動だけ見てたらどう考えてもヤバいやつなんだけど、でも、「本当はコイツこうじゃないはずなんだよ!」っていうのが、分かるというか。性格を描いているんじゃなくて、性格が歪んでしまっていること自体をここまで短い時間(本作は90分ちょい)で描いてて凄かった!

バリーと姉たちとの会話、バリーと恋人リナとの会話の微妙な揺らぎを絶妙に描いてて、それによってバリーの性格や、そこから想像されるバリーの心中の揺れがジンジンと画面から伝わってきた。

 

バリーは急にキレては器物破損に走ったり、嘘をついたりしている。これだけ見ると、どう考えても共感したり応援したりしにくいキャラクターである。

でも、バリーのこの粗暴な世界への対処の仕方が、彼の育ってきた環境によって否応なく形成されてしまったんだっていうことが、姉たちとの会話の中で如実に現されている。そして、彼自身それが悪いと分かっているのが見て取れるから、これは彼の本性というより、今の彼にはこういう方法しかないんだっていう感じに観ている方も納得してしまう。

いやはや、姉たちの勝手さときたら半端じゃない。

 

だけれど、この姉たちを安易にただただ嫌な女として描いていないのもまた良くて、リナをバリーに紹介したのも姉だし、その姉がリナとの電話で話している時に、「彼ってちょっとストレンジね」と言うリナに対して、「ストレンジじゃないわよ。ちょっとネジが緩んでるだけ」と少し怒って言い返したりしている。

だから、一応、弟思いではあるのだが、この思い方が雑なんだよ。そして、バリーの方は凄く繊細なわけ。

だから、姉たちにしたら大した事ない事がバリーにとっては凄いストレスで、しかも姉弟の中では多勢に無勢で正論をいくら言っても取り合ってくれなかったんだろうし、逆にバリーの方のミスとかやり過ぎてしまったことはいつまで経ってもからかわれ続け、非難され続け、そしてこの非難もバリーにとってはストレスなんだけど、姉たちはちょっとした笑いの種くらいでしか話していない。誰もバリーのシンドさを分かってくれないし、多分ずっと味方がいなかったんだろうっていう雰囲気が、姉たちと過ごすごく短い時間の中で綺麗に描写されている。

この、「いや、バリーがはっきり言えばよくね?」とは簡単に言えない感じ。はっきり言ったところで、どうせ「何そんな小さいことでキレてんの?」って逆に余計に苛立たされるだけなんだろうっていう感じ。そういう力関係のムカつく感じ。

 

そして、この「小さい事の積み重ね」のストレスって本当にシンドいよねっていうのがズーンと伝わってくる。

大きいストレスであれば、ストレスの元を断てばいいだろうっていう風にも考えられるわけだけど、生活に密着した小さなストレスの蓄積というのは、何をしたって簡単に解消できない。生活自体をやめるしかない(それがハワイだった)。

 

例えば、バリーが姉の夫に「精神科医を紹介してくれ」とお願いするのだが、それを姉にバラされるというシーンがある。これでバリーは「バラさないって約束したのに!」と怒る。

バリーの方が正しいが、でも夫の立場になれば、自分よりも姉弟である妻の方がバリーのことをよく理解しているだろうと思うから、そんな重たげな事を相談されたら、妻に話すのは自然な流れなんだろう。

だから、その事ひとつは「小さな裏切り」であって、恐らく大半の人間にとっては大した事ではないわけだけど、これが「大した事ではない」と捉えられるのは、その人が大枠で世界を信頼しているからであって、バリーは基本、四面楚歌の状態で生きているから、ほんの少し他人に心を許した結果がこの「裏切り」だと、それが「何でなんだよっ!」って物凄いストレスなわけだ。

で、これを「嘘つき!裏切り者!」と怒ったところで、周りから見たら「いや、大した事じゃないじゃん」って真面目にとりあってもらえないことももう分かってる、みたいなシンドさ。もう!どいつもこいつも何なんだよ!みたいな感じで生きてきたんだろうなぁ、って感じで心中察する。

そして、バリーはなまじ頭が良いせいで、ストレスが溜まった時、バカみたいに周りに喚き散らしたり、何もかも他人のせいにしたりもせず、「これはもうしょうがないから、今、自分にできることをしよう」と切り替え続けて生きている。(映画内でもバリーがそうするシーンがある)

でも、切り替えることとストレスが消えることは違うから、そのストレスが溜まりに溜まって、もう粗暴な行動としてしか発散できない状態に今置かれてしまっているんだろうな、って共感できる。

 

そして、そんな中出会ったのがリナなわけで、だから、彼女がバリーにとって輝く希望に見えていたことが心底よく分かる。

バリーがだんだんとリナに心を許していく過程が丁寧に描かれている。

(逆に何故リナがバリーをあんなに好きなのかは分からないのだが、でも打ち解けていく過程の描かれ方が丁寧なせいか、僕はあんまり気にならなかった。まあつまり、パンチドランク・ラブしたのはリナの方だったのだ、と思っている)

会話の中で、リナがちょっと何かを尋ねる度に、バリーは「何でそんなこと聞くんだ?」というリアクションをする。リナに悪気はないのだが、バリーには相手からの質問が全て非難めいて響いている。そういう不穏で今にも崩れそうな感じが2人の会話からはしている。

例えば、あの「ピアノ」について、リナが「自分のものにしたの?」と聞く。リナは恐らく茶目っ気でそういう言い方をしたのだが、バリーは「盗んだのか」と非難されるのかと思って、「どうして?あれ君のなの?」と気まずそうな、歯切れの悪い返事をしている。でもリナは責めるでもなく、笑って会話を続けていく。それでバリーは安心する。

こういう、微妙な会話の中での信頼感の形成をちゃんと描いているので、これだけ四面楚歌で生きているバリーが、リナのことを凄く好きになっていくのに納得できる。

バリーの性格の歪みを感じている観客の僕としても、リナを信頼することで、バリーが世界に対する信頼を回復し、彼の歪みを回復させてくれるんじゃないかという期待感があって、この恋愛が上手くいってくれと願う気持ちになる。

それで、最後、バリーはリナに全て打ち明けて正直に話す。ぐわっと歪みが治り始めた気がする。

 

ピアノ(ハーモニウム?)は何かの象徴なんだろうけど、あんまりよく分からなかった。あと冒頭の車の横転も。そして、追突のあとバリーが悪人を倒したのは妄想だったのかどうかが分からない。あとバリーが何を売ってるのかもよく分からなかった。が、分からなくても別にいいかなって思った。分からなくても満足。

全く余談だけど、序盤バリーがスティーブ・カレルに見えてしょうがなかった。スティーブ・カレルをリアルにした感じだな、と思ってた。

 

そしてクレジットが出たら「ポール・トーマス・アンダーソン」!

マグノリア』と『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の人か(他は未見)。その割には結構ストレートに感じたけど、僕の見方は素直過ぎて、実は意地悪な見方があったりするのだろうか。