牛乳石鹸 WEBムービー『与えるもの』なんでこれで炎上するのか分からん


牛乳石鹸 WEBムービー「与えるもの」篇 フルVer.

 

 

炎上気味なので観てみたのだが、いや、3分弱のCMだから、いろいろ省かれているわけで、気分を悪くする人がいても理解できなくはないが、作り手の意図を考慮もせず炎上させてもしょうがないのではないかと思う。

 

まず、ごみ捨てとケーキ買ってくるくらいで「良いパパヅラ」すんな、っていうツッコミがあるんだが、これはあくまでこの人の1日であって、それ以外の日をどう過ごしているかなんて描かれていないし、そんなもん描いてたら3分で収まらないでしょう。

目の前に見えていることだけから、その人の全人生を判断して非難するっていうのはおかしくないか。第一印象だけで相手の生活や性格を全部決めつけたりするか普通。CMなんだから、あくまでその人の断片しか見せられないのなんて当たり前の話だし、なんでわざわざ「分からない部分」を勝手に想定して文句を言っているんだろう。

 

この日の彼の我儘な行動に対しての批判はまあ分かるが、これはあくまで彼の一日なわけ。

普段、良いパパとして彼が生活しているとしたら、ふっと1日くらい魔が差して自分勝手に行動したくなる日もあるんじゃないのか。そういう弱さがあっても人間仕方ないんじゃないの。

確かにこのCMで描かれている彼の行動は批判されても仕方ないと思うが、これが普段とは違う1日だからCMのエピソードとなっているわけで、普段通り良いパパとして振る舞う彼を3分弱描いても、それこそ、いかにもなツマランCMにしかならないだろう。

「自分が勝手したくせに被害者ヅラすんな」というツッコミはさすがに冷たくないか。彼も別に悪いと思ってないわけじゃないんだし、妻や子供に対して何かを要求しているわけでもない。風呂上がりの妻と子の対応を見ても普段からテキトーに振る舞っている人ではないんだろう、という描き方になっている。

であれば、普段しっかり家族のことも考えながら、家族を大事にしている父親の、ちょっと父としての自分に対する気の迷いがあった1日、という描き方は、別にそんなに問題ないと思うんだけど。

このCMも、彼の行動自体を肯定しているわけではないだろ。だからこそ「洗い流そ」と言っているわけだし。

 

ていうか、このCMは、「何かを与えるということは、常に何かは与えられないというジレンマの下にある」っていうことがテーマであって、別に「良いパパ」とか「良い家族」とか、「家族のあるべき姿」とか、そういう話がメインではないだろ。

「親父が与えてくれたもの、俺は与えられているのかなぁ」というセリフが出てくる。彼自身は、自分の父親に多くのものを与えてもらったと思っている。そして、「自分の父親」と「父親としての今の自分」は結構ギャップがある。

ということは、あの日の自分と同じ立場にいる自分の子供は、あの日の自分と同じような父親を持つことはできないけど「それでいいんだろうか」、と悶々と考えている彼の、たった1日の話だ。

 

まあ、別に僕の解釈なんてどうでもいいが、少なくとも、このCMは、家事や子育てを夫婦で一緒にやること自体を否定したるするようなCMじゃないと思うし、常識的に考えて、作り手もまさかそんなつもりで作っていないだろう。

これに対して、「この程度で頑張ってるヅラすんな」っていう批判は、それこそもう批判のための批判であって、相手の意図とか、CMという時間の制約の中での演出とか、そういうことを何も考慮せず、ただ悪く解釈して文句言っているに過ぎないのではないかという感じがする。

いや、ホントに、このCMの中に夫婦での家事や子育ての分担自体を疑問視するメッセージを受け取られてしまうとしたら、もうCMでは微妙なエピソードなんて描けない。ただただ正しいことだけをする、そんな機械みたいな人間しかCMには登場できない。それで、一切誤読がありえないような、クソつまらないCMばっかりになってしまう。まあ、それが社会の要請なら仕方ないのかもしれないけど。

 

 

 

――追記。

 

www.huffingtonpost.jp

大きなところにも取り上げられ、すでにネタ化され始めているので、なんとなくもうどうでもいいような気もしてきたが、このCMについての考察や感想をいろいろ読んでいた思ったことがあるので、ちょっと追記する。

本文は「なんで!?」という気持ちと怒りで書いてしまっているので、ちょっと冷静になって書いてみる。

 

そもそも、こういった映像を読んだり、ちゃんと観て理解しようとする気がない人の批判は正直どうでもいい。とにかく映像内にツッコめそうなところがあればツッコミ、悪く解釈できれば悪く解釈し、というタイプの人は当たり屋みたいなもので、真面目に向き合ってもしょうがないだろうと思う。

 

zuisho.hatenadiary.jp

こちらの記事で言われている「うん、分かるよ」という一手間さえ惜しむ人に対しての違和感というのに、すごく共感する。僕が一番モヤモヤしたのもその部分だったので、まあ、この記事のお陰で個人的にはだいぶ冷静になれた。

その上で、僕の感想はこの記事の感想とも違っていて、そもそもこのCMに対して僕は批判的ではない。凄く良く出来ているとか、好きなCMとか言う気はないけれど、別に悪いCMでもないと思っている。

 

そもそも、このCMに対しての批判は、批判の前提として「このCMは前時代的な父親像を肯定している」とか「この夫の我儘な行動を肯定している」という認識を根拠にしているし、もしそうであれば僕も批判する。

しかし、僕の感想として、このCMはそもそも、そういう時代錯誤的な価値観を肯定してはいないと感じた。

このCMの夫は、迷いつつも最後は謝り日常に戻っていく。その事自体が、今の自分、今の時代の父親を肯定している、という風に僕には見えた。

 

確かに、エピソードとして、仕事を引き伸ばし、子供の誕生日に飲みに行く、という「悪行」を彼は働いているわけであるが、僕の所感では、どう見たってこの彼の我儘な行動は「悪行」として描かれている。

CM全体を通して彼の行動を肯定しているようには見えないし、妻の怒りはごもっともという風に見える。そもそも妻が嫌な役として描かれていないことから、作り手も、彼の行動を「良いこと」として描いてはいないだろうと考えられる。

この残業(飲みだけど)エピソードは、別に前時代的なものの肯定として描かれているわけではなくて、彼の「迷い」、なんとなく真っ直ぐ家に帰れない、そういう「良い父親」としての確信が持てずにいる彼の猶予期間を描くために挿入されているだけなんじゃないか、と僕は思った。

 

ということで、僕は前時代的な父親像を肯定したいからこのCMを擁護するわけではなくて、単純にこのCMからそんな肯定を読み取れないから、このCMを批判する気になれないだけだ。

 

で、ツイッターなどでの批判として、まず「この夫は家事や育児を嫌がっている」という読みがある。

そう読まれたら、たしかに文句も言いたくなると思う(そうだとすればナレーションに対しての「何言ってんの?」という怒りも分かる)が、そもそも彼がそれを嫌がっているという判断は、何となく彼が虚ろな表情をしているから、というのが根拠である。

これを僕は「父親としての迷い」と受け取ったわけだが、批判する人は「嫌がっている」と読み取っているようだ。

 

そして、「残業の肯定」「夫の我儘の肯定」というのも、CM全体の流れから読み取られてしまうようだ。

だが、「描いているからといって肯定しているわけではない」というのは、まず当たり前の認識だと思う。もし、描くことが肯定だとすれば、多くの推理小説は犯罪を肯定していることになってしまう。

このCMでは夫の我儘や残業を描いているが、それが肯定的に描かれていると受け取るのは、そもそも「男は実はそう思っているんだろ」という前もっての先入観のせいなのではないか、もしくは「広告代理店はバカだ」という認識のせいか。

 

いや、正直、これはいくら議論しても「いや、自分にはそう見えたんだ」と言われたらしょうがないような気がする。僕自身も、僕に見えたものを語っているに過ぎないことは分かっている。

彼の表情を「迷い」と取るか「嫌がり」と取るかなんて、完全に感性の問題であって、表情の辞書なんて引けないわけだし、正解もないわけだ。

だからもう仕方がないのか、と思うのだが、でも、別にネガティブに受け取っている人ばかりではないよ、という意味でも、一応こういう記事を書いておこうと思う。