映画『スノーピアサー』桃太郎は桃から生まれるし、スノーピアサーは走っている

ツッコミどころが多いと言うが、いや、そもそも温暖化対策で何か空に散布したら氷河期になっちゃったっていう設定からしてトンデモなんだから、レールのメンテナンスはとか、燃料はとか、なんで走ってんのとか、そういうのはいいんだよ。そういう世界なの!

なまじ現実に近いから、現実と整合性を取ろうとして引っかかる人は多いんだろうが、これは寓話なのだ。そんな現実的な話は忘れてこの世界を楽しんでしまうのだ。

 

という感じで、僕は大変楽しみました。

列車という舞台がまず面白い。これは原作の発想が面白いということなんだろう。連なっているからステージクリア型の一本道になっている。そして走っているから同じところにいても外の状況が変わっていく。向かうべき場所への進み方はひとつしかない。敵がいたら正面から闘うしかない。このシンプルさがまず分かりやすくていい。

でも進む過程には凄く工夫が凝らされていて、最初のドラム缶を使った通路の確保から(カーブしなくて良かったね)、少しずつこの世界の生活実態を見せていく流れ、突然の大量の敵との対峙と乱闘、窓の外に見える世界や歴史、地形やトンネルを利用した作戦やアクション。おもしろーい。

 

いやもう本当にファンタジー。水槽チューブみたいな車両があって、そこに寿司屋があるからね。バカなのかと。しかも一本道だから、住居車両から例えば後方の植物園みたいなところに行きたかったら、あの授業中の教室を突っ切らなきゃいけないわけで、リアルに考えたらもうどう考えても部屋の作りがおかしいだろと。本当に人が住んでたらもっとプライバシーを保てる空間に工夫するだろと。

だから、これは、本当にただのファンタジーなんだよ。毎年毎年「レールの上を走っている」ということも、世界が車両で「区切られている」ということも、「先頭を目指す」ということも、寓話的要素なんだから、そこをツッコんでもしょうがないでしょう。桃太郎に対して「なんで桃なの?」っていうようなもんだから。それは設定なんだよ。

いや、これで内容がつまんなかったら、「ああ、この設定を思いついただけなんだね」と僕も多分思うけど、内容面白いから。アクションも良いし、胸熱なとこもあるし、読めない展開もあったし、意外なキャラ設定もあったし、そもそもポン・ジュノ作品はやっぱりキャラクターが魅力的だし、かつちゃんと人が死ぬ。

いや、これはひねくれて言ってるわけじゃなくて、ちゃんと主要キャラクターが死んでいくのって、ドラマにおいては重要な気がしている。やはり「人の死」という重い要素は、的確に使われるとストーリーに対してかなり有効に作用する。

それも、最後の最後で親友が死ぬとかじゃなくて、けっこう近しい人が序盤で死んだりとか、ラストで生き残りそうだった人が死んだりとか、ちゃんとストーリーの中で意味のある死に方をさせているのがいい。

そのあたりの、全く予想外ではないけど、でも予定調和にはなっていない感じが、ポン・ジュノ作品はいいんじゃないかっていう気がする。まだ3作しか観てないけど。

 

死はあるが、残酷なシーンはフレームから外されている。個人的には、この内容だったら別に見せてもいいんじゃないかという気がした。なんか、どうせ暗めの映画だし、いいじゃないか。

残酷なシーンの中でも冒頭の処刑シーンは結構新鮮だった。腕を凍らされてハンマーで割られるというシーンなのだが、とても見ていて苦しい。

カチカチに凍った腕が台の上に乗せられる。恐らくその時点でもう神経なんかはダメだろうし、動かせないし感触もないだろう。だから、ある意味そこでもう腕は死んでいるんだろうが、まだ自分の体にくっついている。そこからハンマーで割られてバラバラにされる。この2段階の苦しみ。2度自分の腕を奪われる感じが、嫌ぁーだった。

そして、割れた破片を敵兵が足でまとめている酷さ。いやもう、残酷。

 

この映画で僕が特に印象に残っているのは、最後の扉の前でナムグンがする話で、「ずっと凍りついてるから扉だって忘れてるけど、これも扉なんだよ」って話すシーンがある。

その「扉」とは、先頭車両への扉ではなく、列車の外に出る扉のことだった。

これは格言めいていて、つまり、「これが答えだろ」と思って、そこまで努力してきたとしても、でも、それだけが答えじゃないっていうことだよね。こっちにも扉はあるんだよっていう。

そう、だから僕が何度も「寓話だ」と言っているのは、特にこのセリフがあるからで、僕たちは最後尾から先頭を目指して、この列車の支配を取り戻す、この世界のあり方を正すという使命を持って、犠牲も出しながら闘ってきた。そうすると、いつの間にか、それだけが唯一の答えで、それが至上の正しさだと当然思うわけ。

でも最後の最後、ゴール直前まで来て、観客が「早くその支配者をやっつけろ!」と思っている時に、ナムグンがそんな話をする。何バカなこと言ってんの?と思う。「さっさと前の扉開けろよ」って思うけど、同時に「そうかもしれないなぁ」と説得されそうにもなる。

そして最終的には、僕たちが絶対だと思っていた、ストーリー上の使命を支えていた秩序自体が崩れ去る。その秩序の上の不正義を正そうと思っていた、その世界自体が崩れ去ってしまう。

その時に、ナムグンの言っていたことの確かさにようやく気づく。

僕たちは自分たちの考えていることの前提を、当然のもの、所与のものとして考えがちだが、前提自体が崩れる可能性はいつだってある、ということが、この映画の伝えたことだと僕は受け取った。

いや、あのラストにしたってリアルに考えたら本当に大丈夫か?と思わされるけど、でもそうじゃなくて、この映画のすべては「違う可能性もある」というメッセージへと紡がれたものだったんじゃないかな。