映画『9 〜9番目の奇妙な人形〜』

荒廃した世界に目覚めた人形:9が、過失から、人形たちを襲う危険なマシーンを起動してしまい、自分のルーツを探しながら、他の人形たちと一緒に脅威であるマシーンを破壊するファンタジーアドベンチャー

 

画面の世界観、デザインは素晴らしいけれど、ストーリー、設定が飲み込みづらい。設定それ自体は新しくも難しくもないのだが、それを劇中で小出しにされるので、「それってそんなに引っ張って言うことか?」という感じがしないでもない。深く考えようとしていると、簡単な答えを示されるような。なので変に飲み込みづらい。

人類は機械の反乱によって滅亡しました。機械時代を担うマシーンを作ってしまった科学者は、自分の魂(または命)を9つの人形に分割して移しました。なぜか機械は人形を襲ってきます。9は、人形たちの魂を吸い取るマシーンを起動させてしまい、追われる人形たちは戦うことを余儀なくされる。

仲間と一緒にボスをやっつける。これだけの映画なので、正直退屈に思うところもある。僕としては、「ボスマシーンとの戦い」より、「人形たち(命)の存在意義」を主テーマにした方が、絶対面白かったと思う。

上記のような設定(人類の滅亡など)は映画冒頭に全部回想で流してしまい、あとは、その後の世界に放り出された人形についてのドラマにすれば良かったのになー、と思う。

 

この人形がナニで、何を目的としているのか。

映画の最初の20分くらいはこの「何で? 何のために?」という感じで興味もわくし面白いのだが、9がマシーンを起動してしまった後は、とにかく、「戦い、逃げる」話が焦点になる。戦っている間、映画の目的がハッキリしないので、いまいち展開に乗れなくなっていく。

にも関わらず映画は、この「マシーンを倒す」というありきたりなアクションに焦点がぐーっと寄っていってしまうので、何だか退屈だなー、という気になってしまう。

「小さな人形たちが大きな機械に戦いを挑む」娯楽作品に寄せるなら、先に「こうなれば幸せ」という状況を提示しないといけないと思う。人形たちの社会があるとか、この機械を倒すことで人類が復活するとか、捕らえられている仲間を助けるとか。

 

でも、僕はそういうありがちな娯楽アクション作品にするより、この映画がもともと持っている世界観や、設定、雰囲気を活かして、前述した通り「命の存在意義」を考えさせられるような映画にすれば良かったと思う。そうであれば「映画の目的がハッキリしない」のは、むしろ「命の目的がハッキリしない」というテーマとマッチして、映画に良い効果をもたらしていただろう。

マシーンの起動前(映画のテーマがボスを倒すことになる前)は、科学者の「命は続かなければ」という発言や、9の所在なさ気な感じから、そういうテーマ(命の意義)に行きそうだったのだが、マシーン起動後はマシーンと人形の戦い(脅威を排除する)というよくある娯楽映画みたいになってしまった。

科学者がどう人形を作ったか、どうして人類が滅亡してこういう世界になったかは、本作品では、劇中で小出しにされているけど、『ターミネーター』とか『スターウォーズ』みたいに最初に全部見せて、その後、ただ機械が人形を襲ってくる以外何もない世界に、明確な目的も持たずに目覚める9、というように始めると良かったと思う。後は同じように2に出会い、機械に襲われ、基地に保護され、という展開でいい。

その後も、ボスマシーンを起動してしまったりとか、リーダーと軋轢が生じたりとか、度々機械に襲われたり、皆でそのマシーンを倒したり、ストーリーは同じでいいが、事件(戦い)に焦点を当てるのではなく、事件に否応なく対応している人形たちの内面や意味を考えさせるようにすれば、これはなかなかな映画になったんじゃないだろうか。

 

何故その世界に生きているのかも分からないのに、明日どうなるのか分からないのに、突然事件に巻き込まれたり、人と出会ったり、悲しかったり、興味がわいたり、主張したり、争ったり、そんなことを何故人形たちはしているのだろうか。

これは現実の世界と同じじゃないか。というか、現実世界から、人間が長らくかけて作ったもの(宗教、娯楽、知識、思想など)を全部取っ払って[人類が滅亡して]、根源的に「命とは?」「何故生きているの?」「生きてどうするの?」と問いかけてくるような、宗教や科学や歴史や家族とかを言い訳に使えない、本当に自分の命ひとつで、何故生きるのかの答えを探さなければいけない。そんな映画になれたんじゃないかなー。と思ったりする。

 

しかしこの映画は、そう問いかけるのにぴったりの世界を作り、それを匂わせる科学者の言葉で始まっているのに、途中から「機械を倒せば万事オーケー」という筋書きになってしまい、問いかけを考えさせるどころか、問いかけ終わらないうちに、テーマを変えてしまった。

しかも、とりあえず一件落着、という感じで映画は終わり。だから見終わった後、物足りなさがすごい。最初から娯楽映画に徹底していれば、そこそこ楽しい映画になったような気もするけど、最初は大きな事を語るように始めて、尻すぼみで、突然ちょん切られたような印象。

映画の最後に9と7がこういう会話をしている。 「これからどうなるの?」 「よく分からないけど、この世界は僕らのものだ」

その「よく分からない」を掘り下げて欲しかった。そこで終わられても困る。投げっぱなしという以前に、この映画は振りかぶった後サッカーを始めた。

 

というような僕の妄想を横に置いて、娯楽映画として見ても、この映画の終わり方はどうも満足いくものではない。

まず「9つの人形」に意味を感じて観ているのに、全く意味がない。この9つの人形はもともと1人の科学者で、1人の人間のいろいろな側面を表しているのだろう。それはよく分かる。保守的、行動派、好奇心、小心、優しい、厳しい、自立心、服従心、奇異、付和など、1人の人間も相反するようなさまざまな面を持っているということだと思う。

で、やっぱり、1人の人間から生まれた、という設定にする以上、この9体は運命共同体であって欲しいのだが、結構バラバラに行動するし、映画のラストは5人死んで4人生き残るというよく分からない終わり方になっている。このラストも、もし存在意義をテーマにしていれば、より問いかけを深める出来事足り得たと思うが、娯楽的オチとしては、本当によく分からない。

1人の人間のさまざまな側面だから、1人1人のキャラクターは人格として極端だ(物語のキャラクターは大抵そうだと思うが)。そこで、皆で力を合わせ、補いながら良き方向に向かっていく、というのが普通の娯楽映画だと思うのだが、「半分死んだけど、どうすんの?」という、モヤモヤを残す終わり方になっている。9分割された1つの魂、という設定は反故にされ、ただ「大体9体くらいは必要だよねー」という風にしか見えない。

襲ってくる機械だって、ボスは倒したが、それで世界が平和だとは映画の中で語られていないし、一応男女が残ったが、生殖できるのか分からない。敵を倒したとしても、何もない世界に4人きりなら、ハッピーエンド足り得ないだろう。人形は死ねるのかも分からないし。つまり、ハッピーエンドにしては希望に欠ける。

 

アクションシーン自体は、そこそこかっこよかったし、防具とか武器とか敵の機械、戦い方も見ていて楽しいものが多かったので、世界観をもっと明るくして、人形が機械を倒す簡単な話にしても良かったかもしれない。人形九人衆みたいな感じで。

それか、この世界観のままなら、やっぱり「そんな世界に存在する非力な人形たち」というテーマに徹底した方がいいと思う。 「命は続かなければならない」と科学者は言った。翻弄される人形たちを通して、どうして命は続かなければならないのだろう? と考えさせられるような内容にした方が、観る価値のある映画になったと思う。