映画『カラフル』

ちょっとストーリーとメッセージが離れている気がする。のと、あと過剰に説明的なセリフやシーンがあって、そこがちょっとうるさい。なんか印象としては中学校とかで先生に見せられそうな映画だなっていう感じ。教育的に振れ過ぎてるというか、なんだろう、お話としてちょっと硬い。製品臭いというか、なんか「良い事を言おうとしてるな」みたいな感じ。

 

まず、メッセージとストーリーが離れている感じについて。

この映画のメッセージはタイトルの『カラフル』。映画の中でセリフでも説明されるけれど、「人はいろんな面を持っていていいんだよ」ということだ。一色じゃない。カラフルでいいんだよっていうね。それは分かるよ。僕も人間に確固たる個性なんてないと思っているし、そこにこだわって悩むのはアホらしいと思っているから、映画のメッセージはよく分かる。

このテーマの映画なら僕は跳びつく程好きになりそうなのに、いまいちそうなれないのは、このメッセージがストーリーにうまく絡んでないと思うからだ。

この「一色にこだわらなくてもいいんだよ」というメッセージを軸に、それをうまくストーリーと絡めるんだったら、真(主人公)の自殺の理由は「自分を見失って生きるのが虚しくなったから」とかにするべきだったんじゃないの? そうすれば、「カラフルでいいんだ」という真の気付きと、もう一度人生をやり直そう、という映画の結末とが上手く絡んだと思うんだけど。

 

でもこの映画では、真が自殺した理由は、日常的ないじめと、その上好きな子(桑原ひろか)が援助交際をしているところを目撃し、その後、母親の不倫を知る、っていう不幸を立て続けに叩きつけられてショックで自殺したということになってる。

いや、「人は多面体なんだ」とか関係ないじゃん! 単純に日常的不幸にイベント的大不幸が重なって精神的に崩れただけであってさ、この映画が伝えたいメッセージと関係ないじゃん。この時点で、ストーリーで解決される真の問題と、映画の『カラフル』というメッセージはすでに離れてしまっている。

(しかも、この真の問題についても、いじめは無くなったらしい。だけど、それはストーリー上で無くなった訳じゃなくて、なぜか真はいじめられなくなっている(理由は映画上では説明されない)。で、母親の不倫はそもそもこの映画のストーリーが始まる前に終わって(解決して)いたらしいし、ひろかの援助交際は解決していない。

つまり、自殺の原因はストーリーの中では全く解決されていないから、そこに関する感動や達成みたいなものはない。この映画は、真の外の問題はとりあえず全部片付けられて、真の内面がどう前向きに変わっていくかを描いている。)

だから、「人はカラフルでいい」というメッセージを伝えるなら、主人公の真は自分が何者か分からなくなった結果、生きる気力をなくして自殺する。その後もう一度チャンスを貰って、クライマックスで「ああ、自分を一色で定義する必要なんてないんだ」と気付くことによって、生きる気力を回復する、という話にするべきだったんじゃないだろうか。

 

単純に言って僕は、この映画を観て、「ああ、人はカラフルでいいんだな」なんてことは思わなかった。説得力がない。だって、ストーリー的に「人間はいろんな側面を持っていて、それでいいよね」って思わせるような展開なんてあったか? ないでしょ。

でも、じゃあ、どうして僕が「この映画はこういうメッセージを伝えたいんだな」と気付いたかと言うと、説明ゼリフで説明されるからだよ。僕の感じではかなり唐突で、ストーリーの流れと関係ねーじゃん、と思っていた。

 

どういう説明かっていうと、ひろかが真の絵を黒で塗り潰そうとしているところを真が見つけて話すシーンなんだけど、そこでひろかが、自己矛盾をたくさん並べていく。それを真が肯定してあげるというシーン。

あのさ、ホント、ストーリーと全く関係ねーじゃん。このシーンだけ切り取って観ようが、ストーリーの流れでこのシーンを観ようが、こっちの実感量っていうか、納得度って全く変わらないんだよね。

で、そもそも、観客の僕は真に感情移入して観ている訳で、ストーリーを通して、"真が”「カラフルでいいんだ」って気付くのと一緒に僕も「確かにそうだ」って気付きたい訳だし、そうであればもっと、この映画のメッセージに実感と納得が伴ったと思う。

 

だけど、このシーンで「カラフルでいいんだ」と気付くのはひろかの方で、真の方は前から答えを知っていて、それをひろかに教えてあげている。

でね、じゃあ真はどこでこの「カラフルでいいんだ」に気付いたんだよ、って考えてもそれがよく分からないし、そもそも真は最初から知っていたのかもしれない。

だったら、この「カラフルでいい」というメッセージが伝えたいのだったら、ひろかを主人公として描くべきだったでしょ。それかやっぱり、真の自殺の理由を前述したものに変えるか。

でないと、ストーリーを通して主人公が変化していき、その変化を通して映画のメッセージを観客に伝える、ということができないじゃん。

というか、この映画そもそも「カラフルでいいよなー」って思うようなストーリーじゃない気がするんだけど。だから、とにかくメッセージとストーリーが離れていて、いまいち映画内で説明されることに納得できないんだよね。

なんかもともとあったストーリーに、どうにか『カラフル』というテーマをむりくり入れようとしたような、だから唐突な感じがするし、いまいち納得いかない。

 

じゃあこの映画って何がストーリー上で描かれているかって言うと、真とその周辺の人との関わり(凄く当たり前だけど)。家族と友達との関係が描かれているわけで、僕はあんまりそこに人間の多面性みたいなものは感じなかった。

家族に対する態度と、友達に対する態度が違うっていうのが多面性だって言いたかったのかな、とか思ったけど、それは多面性じゃないでしょ。周りにいる人達それぞれに対して態度が違うのは普通というか、どっちかっていうと社会性でしょ。

人間の多面性って言うのは、1つのことに対して違う感覚を持ったりすることじゃないの? それこそひろかが言う「綺麗なものが好きなのに、時々壊したくなる」みたいな、それは多面性だと思う。だけど、この映画のストーリーを通して、主人公である真の多面性とか全然描かれているようには思えないんだけど。

真のすることといえば、中学生らしく母親に反抗したり、友達と仲良くしたり、佐野みたいな女子を面倒くさがったりとか、いわば凄く普通なことな訳で、そこに多面性とか別に見出せないんだけど。

例えば、母親のことをすごく好きなのに、どうしても思春期特有の反抗心で母親を傷つけるようなことを言ってしまう、とかなら多面性かな、と思うし、それで自己嫌悪に陥ってしまうとかなら分かる。だけど、真は単純に母親を許せなくて、許せない故に母に言葉を投げつけているのだから、多面的じゃないよね。

 

で、そういう真のストーリーが続いていく中、突然自己矛盾に悩んでいるひろかに述懐させて、それを真が聞いて慰めてあげるっていう展開を持ってこられても、取って付けたようにしか見えないし、だから真がそもそも「カラフルでいいんだ」っていう考えを、映画が始まる前から持っていたのかな、と観ているこっちは思うし、映画が始まる前のことは、観客の僕には関係がないから、いまいち真の言葉に実感をもって納得できない。

唯一分かるのは、ひろかが「時々すごく残酷になるの」というのを受けて真が「みんなそうだよ」と答えるのは、母親に対して残酷になっている真の言葉だから納得できるんだけど。でも「カラフルでいい」が「残酷でいい」にも聞こえて、そうすると真の母親に対する態度が変に肯定されている感じでちょっと違和感があるし・・・。

だからなんだろう、やっぱり「人は多面体でいいんだよ、カラフルでいいんだよ」というメッセージを前面に押し出すにはムリのあるキャラクター配置なんじゃないかっていう感がぬぐえない。繰り返しになるけど真がそこに悩んでいるキャラクターじゃないからね。答えを出すプロセスをストーリーとして観たいのに、真はいつの間にか答えを知っている。

 

メッセージが上手くストーリーに絡んでいない感じがするとしても、ストーリーとしていいのは、無気力だった真が、友達を通して生きる意思を持ち始めて、それがそのまま家族との関係の修復につながっていくところが良いなって思った。

 

2時間の映画。主人公の置かれている状況の説明と、家族との関係が最初の30分、その後学校に行き始めて。学校での立ち位置を探りつつ、佐野とひろかが登場。母親へのイラだちが募り、ひろかが本当に援助交際をしていることを知り、佐野にひどいことをしてしまい、映画の中盤で、主人公が落ちていく。

その後すぐ、ちょうど1時間頃にターニングポイントが来て、早乙女と仲良くなる。ここから15分くらいひたすら早乙女と遊んでいるシーンが続いて、真も何気に元気になっていく。その後、父親と釣りに行って少し話をして、若干母親に対する気持ちが変化する。

1時間30分頃がひろかの述懐のシーンで、ここからクライマックス。食卓で真の高校受験の話をきっかけに、家族の関係が修復される。その後佐野にも謝ると、逆に佐野に真の存在を肯定されるようなことを言われる。

その後生前の記憶を思い出し、これからまた真として生きていくことになる。

大体ストーリーの構造はこんな感じ。

 

無気力な中学生が生きる希望を回復していく話としては結構いいなー、と思っているんだけど、やっぱり『カラフル』かなー・・・、という感じになる、けどその話はもういいや。

やっぱり、一番の山場の最後の食卓のシーンがベタに良くて、ちょっと泣きそうだった。

兄が調べてくれた高校を薦められて、それを真は断る。そこで兄に人の気持ちをもてあそぶなとキレられる。そこで真が言う「約束したんだ」はかなりいい。「早乙女君と同じ高校に行くって約束したんだ」という真に対して、兄が「お前そんなんで高校決めるか」と言う。

でも映画をここまで観ている観客は知っている。真にとっては、どこの高校とか、将来のことなんかより、とにかく今現在、早乙女君っていう友達がいることが何より尊いし、それが生きる希望なんだっていう事が。だから一般論でいえば、兄の言うように「友達が行くから」なんて理由で学校を選ぶのは馬鹿げているけど、この映画のストーリーを通せば、その選択が凄く全うに思えるし、感動的ですらある。

だから、早乙女君と遊んでるだけの15分は絶対必要だった。最初はちょっと距離をもって歩いていたけど、だんだん仲良くなって、一緒に肉まん食べるシーンを経ないと、このクライマックスでの真の選択に感動できない。

で、その後食事を始めるんだけど、母親がスダチを絞るのを真が受け入れる、という動作で、母親との関係が修復されたことを伝える。それまで母親らしいことをされる度にイラだっていた真が、素直に母親に甘えることができるようになる。

 

あと肉まんを半分じゃなくて、真の分を少し大きめに割るとかも、結構いいな、と思う。ただ、やっぱりやや説明過剰なところがあって、肉まんを差し出された真が「小さい方でいいよ」とか言う。いやそこは黙って受け取るとか、受け取った後に気付いてニッコリするとか、もうちょい抑えて欲しかった。

あと母親がスダチを絞るシーンも、画面の中で真の隣に座っている母が感動して泣いてるのをずっと見せられて、ちょっとクドクドやりすぎだと思う。

母親を受け入れられたのも、友達ができて少し心に余裕ができた後、父親の話を聞いて、母親の気持ちを考えるようになったからだろうし、その辺りはちゃんと気持ちの変化を追えるようにしてていい。

 

あと、キャラクターが結構好き。特に父親がやさしすぎて好き。母親が真に上着を買って、それを父親が真に渡すシーンで、「お母さんセンスいいよなー」とか言ってる感じが本当にいい。母親が「気に入らなかったら換えてくれるって」と弱々しく言ったのを、「いいじゃんかコレ、いいよなぁ」とか、本当にやさしい。

母親は酷い目に会いすぎなのに、真のことを最優先で生活している感じとか、兄の冷たいけれど、本当は真のことをよく考えてくれる感じとか、とにかく真は実は家族に恵まれていて(家族の事情を知らなかった生き返ったばかりの真はそう思っていたし)、それがいろんな悩みで曇って見えなくなっていたんだろう。

 

とにかくストーリー自体は別にいいんだけど、メッセージと絡んでないでしょ。ひろかも割とほったらかしだし。真は早乙女君という友達ができたから生きる希望を見出して、それが映画の結末になっているんで、『カラフル』関係ねーじゃん。と僕が思ってもしかたない。

初回観た時は、メッセージの取って付けた感ばかりに目が行って、正直嫌な映画だな、という感想だった。今回感想を書いとこうと思って見返してみると、確かに初回の嫌な感じは同じように感じたのだけど、良い所にも気付けた。

 

あともう1つだけ言うと、ストーリーの為にキャラクターが「置かれている感」が結構ある。ストーリーに都合の良いようにキャラクターが配置されてるというか、例えば、早乙女君は誰とでも仲良くなれるタイプとか言いながら、真としか仲良くしていなかったり。

単純に言うと、この映画の世界には、登場人物以外の人間がいる感じがしない。だから、何だかストーリーがスムースに進むように都合良くキャラクターが登場して真と関わり合っている感がある。おとぎ話的というか、そこに違和感がある。これが製品臭さにつながっているんだろう。

けど、そこはそういう映画なんだと思えば別に嫌ではないけれど。