映画『グリーン・インフェルノ』全く違う価値観の世界に放り込まれる恐怖

感想もクソもねぇよ。みたいな気持ちで観終えた。久々に映画観てここまでゾワゾワした。いやぁ、嫌だね。嫌だよ。これはもう。ダメだ。

オープニングのクレジットを見て、「(ELI ROTH)エリ・ロス? 知らない名前だなぁ」と思ったら、「イーライ・ロス」だった。イーライ・ロスといえば、『ホステル』の監督だ。

僕は『ホステル』を観終わって、「もう二度とこういうタイプの映画は観ないぞ」と心に決めた。そういう映画だった。

グリーン・インフェルノ』というタイトルに見覚えがあったから、どこかでオススメされていた良い映画に違いない、と思って観たら、そっち方面の良作だった。

 

見る前にあらすじで「何やら社会派な感じかな」と勘違いさせられ、序盤の何か安っぽい雰囲気に「あぁB級映画っぽいなぁ」と不信感を募らせつつ、話が進むほど「なんかこの感じ知ってる、この若者が外国で調子乗ってる感じ見たことある」と嫌な予感がしつつ、事が始まったら、いきなり容赦ない描写で「うわぁー」ってなった。

いや、いきなり1番攻撃されたら嫌な部分を攻撃されるとは思わないじゃないですか。しかも、まだ衝撃に襲われている最中に、もう一回やられ。「まあ、もう終わりだ」と思ったら、今度は2番目に嫌な部分を攻撃され、「もう、マジか・・・」と、なっているのをよそに、もうバッサバサいく。

もうさ、イーライ・ロスって凄いドSだよね。もうホント、ちょっとは優しくして欲しいんだけど。

とはいえ『ホステル』より優しいような気もした。なんか、めっちゃ恐いんだけど、痛いっていう感じはあんまりしなかった。なんか、『ホステル』よりは暴力描写がサバサバしてた気がする。いや分からない。僕がその頃よりこういう描写に慣れてきてしまっているだけなのかもしれない。

そして、僕としてはとてもありがたいことに、ここが一番シンドくて、あとは、暴力シーンあるんだけど、ここほどじゃない。

ただ、恐い予感でゾクゾクさせられるシーンはあって、ストレスは終盤に行くほど高まっていく感じ。もうホントに、いっそ殺してくれっていう誰かのセリフに心底共感した。もう無理。もう辛い。

 

ストーリー的には、アイロニカルな因果応報みたいなものがあったり、集団の腐敗的な政治的な話があったりするんだけど、そこに関してはまあフィクションだから、面白い設定だなっていうぐらいの感想しかない。必ずしも現実の問題と関連付けて考えるべきだとは僕は感じなかった。

僕がこの映画を観ていて感じた面白さは、未開の民族であるヤハ族を文化的に見せているところだった。

最初にジョナという男が殺されてしまうんだけど、ここは物凄く残酷に殺されてしまう。この殺し方によってヤハ族を凄く野蛮に見せる。が、次にシーンで、凄く丁寧に味付けをしたり、肉を削いだりする調理シーンに移る。こう文章にするとおぞましいし、実際おぞましいんだけど、でも同時に、凄く平和で牧歌的な雰囲気が漂っている。

老人たちと子どもたちが協力しながら、伝統の調理法なんだろうなぁ、と思わされるような丁寧な調理をしている。(「友達が調理されてる匂いがするよぉ」っていう、笑っていいのか分からないギャグがある)

この淡々と調理をしている様子を見ていると、野蛮というより、そもそも同じ人間だとは思っていないんだろうなっていう感じがした。

あの残酷な殺人の儀式も、残酷で野蛮というより、この部族にとっては「こうやるものなんだ」っていう事でしかないんだろうなぁっていう。

だから、この映画は残酷な殺人鬼に追い掛け回されるタイプのスプラッター映画とかとは違う。そういう映画は、襲う側も襲われる側も一応価値観を共有しているというか、襲う側も「襲っている」っていう意識があるように思う。

この映画が面白いのは、襲っている側には、別に「襲っている」という意識がなさそうなところ。ただ、「家畜を屠殺しているだけ」みたいな感じがする。だから、ヤハ族が野蛮で残虐というより、そもそもその行動を野蛮で残虐たらしめている価値を、ヤハ族はキャラクターたちに対して持っていないんじゃないかっていう感じがした。

 

この映画で描かれている怖さっていうのは、単にキャラクターたちがヤハ族に襲われて怖い目にあっている、というスプラッターホラーではなくて、全く異なる価値観の中では、僕たちは単なる家畜でしかなくなってしまう、という恐怖なのではないだろうか。

だから、最初にジョナが殺されるシーンでも、なんとなく描写がサバサバして見えるのは、それが屠殺場で鶏の首が落とされるような、そういうある意味での軽さを感じるからだと思う。なんというか、作業的に見える。

その後のシーンでも、キャラクターたちは残酷な生贄というより単に捕まえられた動物のようにヤハ族に捉えられているように感じる。恐らく、無邪気な子どもたちが笑いながらちょっかいを出してくるせいだと思う。

キャラクターたちが凄く悲痛な表情をしていても、ヤハ族にはそれが同類の感情としては届いていないんだろうっていう感じ。だから、一方では残酷描写に恐怖を感じながら、一方でヤハ族が特別残酷で野蛮な感じがしなくて、これは彼らにとっては普通に生活しているだけなんだろうなぁ、っていう感じが同時にしている。

 

それで翻って、ヤハ族の村が蹂躙されようとしている事実を見てみれば、ここには同じような構図があるわけで、ヤハ族をバンバン銃で撃ち殺している人たちは、ヤハ族を同じ人間だと思ってない。

キャラクターたちがヤハ族の価値観の中で残酷に殺されたように、ヤハ族は企業の価値観の中で残酷に殺されている。

だから、お互い関わらない方がいい、という事なのかなぁ、と僕は思った。でもどうなんだろう、作り手的にどこを落とし所としているのかは、はっきりとは分からなかった。しかし結局最後にジャスティンがヤハ族をかばった事を考えれば、そういう結論になるんじゃないかと思う。

まさかヤハ族の行いを先進国の中で肯定しようというわけはないだろうし、一方であの文化を存続させる方にジャスティンの決断があるのだとすれば、これはもうお互い触らないでそれぞれで上手く暮らしましょう、というのがこの映画の中では落とし所になっているんじゃないか、と僕は思ったんだけど、どうなんだろう。

少なくとも、お互いに、自分の論理で相手を好き勝手していいわけないよねっていう、そういう印象を僕は受けたし、そういう説得力はあった。

 

と、結構良い感じで僕はこの映画を観ている。いや、もう観たくないけど、でも良い映画だとは思う。

ただ、僕が感じた、全く相容れない価値観の中に放り込まれてしまう恐怖から言うと、ジャスティンが割礼されそうになることや、ダニエルが蟻攻めされるところは、むしろこの恐怖を薄めてしまっていると思った。

というのも、ジャスティンがされそうになっている事は、ヤハ族の中で同族にもやられていることだと思うので、ここで、問答無用で家畜のように扱われてしまう、というどうしようもない恐怖が崩れてしまう。共感可能性が出てきてしまうというか。

またダニエルの蟻攻めも、見せしめや罰という側面が強く見えたけど、その残虐性に逆に共通の価値観を見出だせてしまうというか、拷問される事で逆に人間扱いされているという感がある。

例えば、普通の人間は逃げ出した家畜を捕まえたって、わざわざ拷問したりしないだろう。ただ捕まえて檻に戻してお終い。そもそも家畜をいたぶっても何の意味もない。

あそこでヤハ族がダニエルを拷問することで、ヤハ族の文化度が落ちたというか、ヤハ族はヤハ族の道理で生きているんだろうなっていう感覚が削がれて、こいつら単にサディスティックなだけなんじゃないか?という感じになってしまった。

もちろん、僕が感じた恐怖が作り手の表現したかった恐怖なのか分からないけど、あの辺りは単なるスプラッターになってしまっていて、この映画特有の恐怖感が削がれていたように思う。

 

 

全体的に、ゾワゾワする恐怖感に満ちているし、描写も容赦ないし、ギャグも挟まれるし(笑っていいのか分からないんだけど)、なかなかな映画だった。もう観ないけど。

 

 

 

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